毎日を生きることは、宙を歩くくらい難しい。

両親の離婚に不登校。女性経験なしコミュ症。パワハラで退職。ちょっと鬱。ぐれずにここまでやってきた僕のゆったり日記。ただ稀に薄暗い気分に身を委ね、目が覚めた僕には理解が出来ない文がある。

修学旅行に綺麗な足。 ー実話ー

今週のお題「修学旅行の思い出」

何年も前のことなので、記憶の断片をかき集めながら書いていきます。誰かに伝わるよう必死に。

あれは蝉の声が無くなり始めた頃でした。小学5・6年生のどちらか。それは滝や寺を観光するというありきたりなもので、多くの学校がその時期にその県に集中します。もちろん私たちの学年もそれに向かい、あまり覚えていませんが存分に楽しみました。おそらく。

お風呂に入りお腹いっぱいご飯を食べ、はい。おやすみなさい。……とはなりません。友人達と夜更かししていました。何時頃でしょう。半分くらいが眠りに落ちたとき、ある一人が入口下の扉の方を指差しました。オートロックなどない昔ながらの宿舎には、入口の近くの壁下にスライドドアが付いています。みんなが何事かと目をやると、すらりとした女の人の足がありました。廊下側にしっかりと。

「女子の誰かが遊びに来たんじゃねーの」

友人の1人が言いました。確かに。疑わない健全な男子たちは、誰が来たんだよと鼻を鳴らし、違う意味で心臓をドキドキさせます。

「でも、足を見てんのも悪いね」

そう言いながら1人はスライドドアを閉めました。女の人の足は一歩も動いていない。石像みたいに、ただそこにあるようでした。

「遅くねー」

待ちくたびれた友人は扉を開け、廊下に女子を迎えに行きました。そしてすぐに戻ってきます。いねーと、言いながら。そんなはずないよと、スライドドアを開けると、確かに、そこに足はありません。帰ったんじゃねと、笑い話。疑わない男子たちは、1人また1人と眠りにつきます。そして変わらない朝を、迎えて行きました。

余談

私の小学校ではたくさん撮られた写真の中から、好きな写真をピックアップし購入します。その中の1枚が密かに話題となりました。滝の前で撮られた写真。生徒と先生、校長先生も交えた笑顔の写真。両足がありません。校長先生の。現在の技術では背景をA Iが理解し、ある部分だけ切り取ることも可能ですが、当時にそんな技術はないはずです。上半身と滝。下半身がなく、後ろの滝が写っています。

翌年、校長先生は変わっていました。

 

当時は何も考えなかったのですが、今思えばおかしな点が多いです。今思い出したほうが、あの廊下に立っていた足を鮮明に描くことができるのです。

 

パーカーを着たまま決意。 part2

父との会話の最後に、僕は3つだけ意見を述べた。

一つ  責任を感じなくていいこと。折れてしまうのは、時間の問題だった。たまたま父だっただけだ。

二つ  僕が必要としてない優しさは、お節介だということ。助けて欲しい時は、言う。

三つ  年金の申請だとか、病院にいつ行くかなど未来の話はしないこと。これが一番堪える。先が見えない、それは物凄く怖い。ただいつもみたいに、何気ない会話をして欲しい。

わがままだ。普通の人達は働いて頑張っているのに、何もないくせに取扱説明書のようなことを言って。本当に、糞みたいな人間だと思う。パーカーの紐を抜いて……なんて考えてしまう。

でも私は言えた。

しっかりと口を使って。目を合わせてなんかは難しいけれど、言えた。

久しぶりに涙を流した自分に、丸をあげたい。まだ僕は大丈夫だと。

思いもよらない号泣で何かが溶けた。

「4つめ、自分で立ち上がるから。辛いときは言うから。時間かかるけど、頑張るから」

こんなこと言うつもりはなかった。

考えたことさえ、驚いている。

父は「仕事をするから」と、リビングに戻った。これでいい。社会のレールを外れた私は、これから先"普通"じゃないとか、負け犬だとかと、レッテルを貼られる。まだまだ立ち向かう勇気はないけれど、待っていて欲しい。パーカーの裾をぐちゃぐちゃにしたまま、そう思った。

意味不明な夢日記 【1】 2017/01/19

数日間、A(アニメのキャラクター)は友人達(これは現実に存在する)からの手紙を待ち続けていた。緑色の小高い丘の上で、世界地図に記されたどこかの孤島を見ながら。

                                    *

ジャッキー映画に出演していそうなチャイナ服を着た髭づらのおじさんに

「いいとこにいくアル」

と、諭され”夢の場所”に向かう友人2人。(どこにあるかもわからず、誰かに語られることもない。起床後にパソコンをぽちぽちしてみたが、発見には至らなかった。夢の中の夢の場所とは、ややこしい)  Aは村が好きだったこともあり、一緒には行かなかった。

                                    *

それからしばらく、待ち切れなくなったAはもう一度、手紙を出した。そして時が過ぎ、ある日、郵便受けを確認したが、やはり空だった。落胆し落ち込んでいると、郵便の方が手紙を持って来た。こんなに嬉しいことはない。飛び跳ねそうな気持ちを抑え、手紙に目をやった。しかしそれはAをまた落胆させた。自分が送ったものがそのまま戻ってきただけだったからだ。

ここで突如、視点が島に向かった友人達になる。彼らは黒いスーツの男に囲まれ、島の奥へと消えていった。あのチャイナおじさんは人身売買のバイヤーだったのだ。

また視点はAに戻る。Aはからしのチューブを咥えながら、ビリヤードを楽しんでいた。

起床……布団の上、見慣れた天井じゃないか。

軽いうつと引きこもりからの脱出 part1

仕事を辞めて、立ち上がることが出来ない僕は、布団の上を行ったり来たりしていた。

これは、8年前の再来だ。

不登校になって、高校を2ヶ月で行かなくなったあの頃と同じ。未来を考えすぎる、長所なんて存在しないんだと、吐き捨てるあの頃と同じ。単なる家庭ゴミと排泄物製造機になった。このまま引きこもって、人生の幕を自分で閉じて、はいおしまい。そうなると思っていた。

けれど、あの頃と違う点がいくつかあった。

下記に示したものは、実際に父に見せたものだ。いま、読み返してみると非常に読みづらい。そして背中が痒くなる。

 

「仕事で軽い鬱になっていたのは事実で、もうぼろぼろだったのも事実だ。だけどとどめを刺したのは、親父だ。仕事を辞める覚悟は、お先を真っ暗にした。 でも、なんとか必死で自分で考えた。何かしていないと、駄目になりそうだったから。治験は最適だった。少し落ち着いて、その報酬でキャンプ道具を買って、歩く。終わったあとは、ゆっくりとバイトしていこうと、微かな光を掴み損なわないように、文字通り必死だった。でも、その光は消えた。新しい道しるべを見つける前に消えた。真っ暗になった。すべてどうでもよくなった。やる気はいつの間にか、僕を置いて行った。明らかに自分が背負い切れない不安と心配を、俺に押し付ける形で、軽減した。俺に持たせたんだ。海外徒歩もそうだ。心配を抱え切れないから、行かせないという方法を取った。今思えば、文句ばかり言っていたあの上司も、不安を抱え切れないから、怒りというシステムで昇華してたんだな。聞いているこっちの身にもなれよと思うけど。俺は逃げることも投げ捨てることもできないから、こんな重たい荷物を持っている。小枝にトラックを乗せたらどうなる?もう最後の一本も折れちまったよ」

 

父に伝えた。口に出して伝えることができないから、書き出したけれど。

伝えることができた。

それだけで十分だった。

おそらく、父は驚いただろう。

息子が意見を伝えるなんて今までなかったから。

8年前の不登校の僕。

頑なに自分の意見を、口を割らなかった自分に伝えたい。

「全然進んでない。アリさんくらいにしか。でもね。ちょっとは立派になったよ。君にはどう映るかな」

布団の中で、そんなことを口にしようとしたけど、ポエミィで気持ち悪いと思われそうだからやめた。