毎日を生きることは、宙を歩くくらい難しい。

両親の離婚に不登校。女性経験なしコミュ症。パワハラで退職。ちょっと鬱。ぐれずにここまでやってきた僕のゆったり日記。ただ稀に薄暗い気分に身を委ね、目が覚めた僕には理解が出来ない文がある。

精神統一は掃除から

良いことがあったとき、嫌なことがあったとき、掃除をすると心が休まる。どうしようもなく辛い、頭がぐるぐるパンクしそうになると、ただ布団にくるまって過ごすよりも、黙々と拭いていた方がいい。洗面台や食器洗い、トイレ掃除、本日だけでだいぶ綺麗になった。

しかし、丁寧に愛情を込めて清掃を行っていると、使うのがもったいない、汚くなってしまうのではないか、と思ってしまうのである。本来は生活に扱われる設備であるから、使わない方が可哀想だ。が、うむ。やはり。使い、すぐ拭く。使い、すぐ拭く。イタチごっこである。

かといって、いっそのことどシャーンと汚れをぶちまけるのも違う気がする。綺麗にする前よりも汚してしまえ、とも違う気がする。

脱線してしまったが、掃除は心を休める。というか、無になれる。寺の修行で掃除するのもなんとなくわかる気がする。

でも、毎日はしたくないのが、掃除なのだ。